クリスチャン・オジャ―ルは来年で50周年を迎えます。
約半世紀にわたるブランドの歴史を振り返ってみると、今見ても魅力的なものがたくさんあることにビックリします。
このシリーズでは、さまざまな資料や写真を通して、クリスチャン・オジャールの歴史をひも解き、お届けしていきたいと思います。
お届けするのは、「クリスチャン・オジャール 歴史探偵」の氣駕マサヒコです。
楽しみにしてくださいね!
さて前回の報告は、オジャール氏の突然の訃報で終わりました。1977年のことでした。
クリスチャン・オジャールというブランドは、いったいどうなってしまうのか?!
この時、一人の女性にスポットが当たります。
妻でもあり、デザイナーでもあったミッシェル・オジャールが、後を継いだのです!
当時の彼女の写真がこちら。
今回の表紙でもとりあげたキュートな1枚です。
当時、跡を継いだ彼女に対する記事があります。
『か弱そうな女性、やせた横顔は化粧っけもなく無造作な長い髪、宝石も身につけず、少しの気負いもない』
『このうら若い女性の両肩に、クリスチャン・オジャールがかかっているとは誰も考えられないだろう』と。
そんな彼女がオジャールを、さらに大きなブランドへ変えていくとは、この時誰も考えられなかったでしょうね!
ちょっと、話はさかのぼり二人の出会いまでもどします。
彼女はご存知のとおり、20歳のときオジャール氏と出会い、彼といる楽しみのために報酬抜きで彼の仕事を助けました。
うらやましいお話ですね!
すぐに二人には子供が出来ました。リチャードと、ジルです。
そう彼女は、二人の母親でもありました!
彼女こそがオジャール氏の唯一のスチリストとなり、二人で多くの困難を乗り越え、やがてクリスチャン・オジャールは
パリ有数の企業に成長しました。
また、オジャール氏の資金援助を受けて、彼女のメゾン「ミッシェル・ドメルク」を立ち上げました。
この時のデザイン画が こちら。
ディナードレス、かわいいスモックやブラウスでデコラティブなモードを展開しています。
この時にオジャール氏は、この事業のすべてを彼女に任せていました。
つまり、このメゾンの社長はミッシェル・オジャールだっだのです。
彼女の持つ素質は、このメゾン「ミッシェル・ドメルク」を大成功におさめました。
きっとオジャール氏は、彼女に大きな信頼と期待があったのでしょうね。
そして、この経験が役にたつ時はいつ・・・、林先生なら、こう言いますよ、「今でしょ!!」
そして彼女は、クリスチャン・オジャールの社長になったのです。
ここに、彼女がオジャール氏の跡を継いでも、十分に成功できた秘訣があったように思えますね!
そんな彼女の記事に気になる事が・・・
『死から5日目、悲しみを押し殺しバイヤーを迎えるのに忙殺され、朝から夜までコレクションを売っていた、
深い悲しみをぬぐった跡もなく』と。
きっと芯が強く責任感のある女性だったのでしょう。
ここで もう1枚。
クリスチャン・オジャールの服を着ている彼女です。
この笑顔が、なんとも ボン・グーですね!
私も、この写真を見て安心してしまいました。最近、涙腺が弱くなったので、つい涙目に・・・・。
この時の取材記事に、こんな内容を発見!!本人のインタビューから、
『私は、この仕事を愛しています。私は夫の仕事を引き継いだ時、多くの課題を自分自身に投げつけました。
今日まで、なんとかうまくいってますが・・・』と。
何をおっしゃるうさぎさん、今日までどころか、クリスチャン・オジャールは その後も躍進を続けました!
そして来年、50周年を迎えるまで大きく育ったのですから。。。
今回の記事お楽しみいただけたでしょうか?
次回も楽しい記事を探してきますので、どうぞお楽しみに。
探偵稼業まだまだ続きますよ、じっちゃんの、名にかけて!
PROFILE
氣駕マサヒコ
東京都出身。
1988年にイトキン株式会社に入社。販売から企画を経て、現在コーディネーターとして活躍中。楽しいトークが人気を呼び、全国百貨店を中心にトークショーを講演、テレビショッピング出演。
2023.09.05
2023.09.04
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2023.08.21
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